【ゼミ】変な例え

お疲れさまです。

後期に入ってゼミのblogを書いていなかったなと思ったので、振り返りつつ、どうせ今後来る行き詰まりに対応できるようにしておこうと。

ゼミで特筆することがない訳ではないけど、前期ほど形のないものを触っている感覚は今のところないかなという感じ。

後期最初のゼミで先生がしていた説明では、理論仮説と作業仮説を設定してからアンケートをしようという流れだったけど、僕たちのリサーチの性質的にアンケートを直でやっていた方がいいかもねとのことだった。

理論、作業仮説の線引きが曖昧で表現が難しいことがその理由だと認識している。

その線引きが難しいことの要因として、他のチームのように、健康と好奇心とか、幼児と好奇心とか、SNSと好奇心みたいな○○を設定していないので抽象度が高いことが挙げられるかなと思う。

抽象的すぎるので、理論仮説から作業仮説に落とし込むための枠組みがない。

なのでアンケートも前期にある程度絞っていた仮説から作っている状況。

前期に実験(シチュエーションでのリサーチ)をやってみていたのもその抽象性を補うためで、

他のチームが 具体(○○)→抽象(好奇心)なのに比べて

僕たちは 抽象(好奇心)→具体(実験) という感じなのかな。わかんないけど。

 

書いていて思ったけど抽象的と言っていいのかな。抽象的というよりかは本質的?根源的?

僕のイメージとしては抽象具体は同じものの表現の仕方だけの違いだけど、そうではなくて、そのものが持っている核の部分の性質へのアプローチの方法で、直接か間接か(直接でも結局は間接的になるけど)という感じなので、本質的っていう表現の方がよさげ。

でも本質的だと俺らがやっていることが正当で他のチームは邪道だ。みたいな傲慢さを含んでいる気もするし、アプローチの違いだけなので根源的にしよう。

根源へと向かうために、存在している枝葉に注目して辿る方法と、根源から作り出されるであろう枝葉を想像(創造)して見てみる方法みたいな感じ?

好奇心の具体例を探る議論を深められなかったのでこのようなアプローチになったと思う。

前述のわかりにくい例からすると、バカでかい木の根っこがありそうだけど掘にしてはデカくて、ギッチギチに根を張っててダルいし、枝葉を見てみるにしても高くて多すぎるので選べないみたいな。

他のチームが枝葉を見るために動いていた時に僕たちは正直、高くて生い茂る枝葉を「綺麗だねー。多いねー。選べないよねー。」と眺めているだけだったかもしれない。

そんなこともしてられないから、一番近くの掘りやすい根っこを切り取って育ててみてどうなるかねと見てみたらこんな枝葉がになったよー的な。

この例えだとじゃあ育ててみた方の木の根っこ分析したほうが早いやないかいとなるので、見ているのはそっちの方かもしれない。枝葉じゃなくて根っこの末端。

ちょっと何の話してるのかわからなくなってきた。

合ってんのかな。合ってない気がするけど。

例え話好きなんで、友達と話してても例え話の世界観の中で無理に例えようとしてカオスな状況になっている時がおもろいです。

 

いつの間にか何故か木の話になっていたけど、対面授業になって思ったより忙しくなったからといって、大きな木の下でダラダラ横になることだけは避けたい。