お疲れ様です。メールマガジンを停止しましたっていうメールが来るのが気に食わなくて、メールマガジンの停止ができないのがひどく生きづらいです。
前回は好奇心のプロジェクトのゼミ内プレゼンを行い、いくつかフィードバックを頂きました。
今回はそれを参考に、ポストイットなどを使ってもう一度インタビューを見つめ直して、特殊的好奇心の発生する原因の分類を考えました。
具体的に、頂いたフィードバックとしては
- 分類した項目もうちょっと細分化できそう?
- 懐古・類似は好奇心なの?
- インタビューデータの分析を深めてみては?
といったところです。
インタビュー結果の分析
まず、今回のゼミでは主にインタビューデータの分析をしました。
こういう感じでポストイットを貼ってって、これとこれ似てそうとか、遠そうみたいな感じである程度の分類をしていきました。
ある程度の分類ができて、さて、こっからどうしようかと。
そこで、先生から頂いたフィードバックの1つの、懐古・類似は果たして好奇心なのかどうかというところに着目しました。
よくよく考えると、分類したやつって好奇心じゃ無さそうなやつ混じってない?って。類似懐古に限らず。
「特殊的好奇心」にフォーカスしているのに、いつの間にかリサーチありきで、なんならリサーチの結果を前提として考えていたなーって思います。
「特殊的好奇心はズレや矛盾などの認知的な不一致を解消するために特定の情報を探し求めることを動機づける。」(2015 西川・雨宮)
ってプレゼン資料にも書いてたのにですよ。
認知的不一致が起こっていない事象も、僕の主観で、特殊的好奇心のラインを記述の有無で判断していて、好奇心が無いと記述しないだろうとの勝手な憶測から。
そもそも記述されたそれぞれの項目を、好奇心か好奇心じゃないかで分類した後に行うべきだったのに、そこが必須の手順だったのに、目的を忘れたままやってたからこうなってしまったかな。後は憶測に対して疑問を持てなかったこと。
凄く見覚えのある失敗です。
目的を意識していたつもりでも、定義などの、その前後の段階まで意識出来ていなくて。結局、一連の流れをもっと俯瞰的に見る力を付けていかないとなと思います。
さて、特殊的好奇心の定義を再確認して、ズレ、矛盾、認知的不一致をキーワードにもう一度ポストイットを見てみると、消える消える。
- 言語が違うのに言葉が通じている疑問
- 想像とのズレ(程度)
- 今後のストーリー展開への疑問
特殊的好奇心に当てはまらそうなものを隠して、残ったものがこれ。
↑一応その思考のメモも。
認知的不一致が起こっていなそうなものを外すとともに、例外的に、プレゼン時には欲求・願望としていた「〜したい」という事象は、拡散的好奇心であると見なしました。
例えば、「洞窟に行きたい」という記述に関してインタビューしていく中で、「洞窟に行ったことがない。」という未経験のことを体験してみたいという新奇な情報を探し求める動機が見られたことに気づきました。
この動機としては、拡散的好奇心の方が当てはまると。
ここも、動画を見るという拡散的好奇心を経ての実験インタビューだから、特殊的好奇心しか発生しないだろうという憶測と、拡散的好奇心の定義への意識の甘さがありました。
そんなのもありつつ、残ったものの分類を細分化していったのがこれ。↓
今のところ、
- 展開への疑問
- 程度(大きさ、速さなど)のズレ
- 矛盾(言語の違い)
- 偏見?
としました。ただ偏見については、価値観自体、自分の中の常識自体のズレと判断したので、他の3つとはズレのベクトルというか、次元は違う感じはしています。
「育てる」への繋がり
また話し合いで詰めていかないといけない部分もありますが、大幅な修正をして、育てるへの繋がりという部分では今回でかなりクリアになってきたなという印象です。
認知的不一致を解消するプロセスが総じて特殊的好奇心であるため、今回分類・細分化したズレが、その後そのズレを解消するための行動原理となっているかという部分が今後のインタビューで絞っていく対象となってくるかなと思っています。
現在、「発生」にフォーカスしているのは変わらず。
ただ、解消するプロセスである行動を取っているか否か、そしてそれが個人を形作るライフワークへどのように発展していくかが「育つ」に関してのリサーチのポイントとなってきそうだなという見立てです。
ディスカッションをする中で、解消するプロセスに注目して、「行動」というワードが無意識に出てきていた気はしましたが、プレゼンの時に秋山くんたちが「行動」にフォーカスして進めていく感じだったのを思い出しました。
行動は重要な要素になりそう。