無駄
アプリを使って転出届を出すことができるようになり、対面で窓口に渡す必要が無くなったらしい。
これでわざわざ時間を作って、地下鉄に乗って、区役所の窓口まで行くことが無くなった。あのクソ長い待ち時間もない。
別に行ってもいいんだけど、多分行かないと思う。面倒だ。
けど、そういうのは意外と好きな時間のひとつだったので無くなってしまうのは寂しい気もする。
区役所までわざわざ足を運ばなくてはならなくて、面倒な手続きをさせられた後に、だらだら歩きながらどこで昼飯を食うか散策する時間が僕には必要だ。
無駄と面倒を強いられる状況の中での反骨的な感覚で、生きていることを認識できる。
別にアプリで出来るようになっただけなので対面でこれまで通り行けばいいとか言われたら「それはちがうやん」ってなる。
はい。矛盾矛盾。
ビギナーズラックの生存者バイアス
最近パチンコに行き出した会社の後輩が、当たっただの当たらないだの話してる中、
先輩がポロっと、こんなことを言ってた。
「初心者が当たりやすいのってあれやろ?店側が操作しとんやろ?」
よくある陰謀論的な、確率操作のアレだ。
よく海物語を連打しているおじいおばあが、喫煙所で話してる。
そんなことは無い。多ければ1000台あるパチンコ・パチスロを、遊戯者が初心者かどうか見分けて操作する人的リソースもお金も無いだろう。
MAであれば可能なのかもしれないが、その後のLTV的にも費用対が終わってるだろう…
初心者の定義もできないし。
そういう意味で、前述の陰謀論は陰謀論だと思っちゃっているのだけれども、そうは言いつつ、初心者が当たりやすいって言うのもよく聞く。
所謂ビギナーズラック。
じゃあなんで初心者当たりやすいって聞くのだろうって考えた時に、思いあたったのが生存者バイアス。
初めてパチンコ打って当たった奴だけが生き残っているだけじゃね?と。
そもそも初めてで当たらず2万とか負けた奴はおそらくパチンコ辞めるし。最初当たって生き残った奴だけが声高々にビギナーズラックはあるんだと仰っているだけなんじゃね?と。
上記の整合性とか妥当性はなんの調査も検証もしてないから知らんけど。卒論とかこれでやれば楽しそうだったなぁ。
最近はこういうクリティカルシンキング的なことができるようになってきた感じがするので、クリティカルに囚われないように生きよう。
考え方に流行りを持たせると公平に見れないのは個人的なあるあるなので、気をつける。これも学び。
卒論だけど
なんか卒論書いていて、あぁblogちょくちょく書いててよかったって思った。
もちろん卒論は客観的なデータとか先行研究から俯瞰的に書いていく必要があるし、blogの主観的な文書とは対象的なのは理解している。
実際、主観と客観の文章も深く関わってくるテーマだし。そこは念頭に置いて書いているつもり。
そういう文章の構成とか表現というより、言葉選びだったり、端的にするための言い換えだったり、論理のブリッジだったりで、blogを書いている時の感覚と似たものを感じる。
自己満なんだけど、この言い方とか繋ぎ方凄くいいなってなって、その部分が書けただけで満足になって進まなくなったり。
結局主観客観はあるにしろ、姿勢とか性格みたいなのは出るんだなと思った。
これで先生に「結構主観入っちゃってるんでやり直しですね」とか言われたら笑い者すぎるけど。
個人的にはblogは自己満でしかなくて。正直ほぼなんにも考えず暇つぶしと気分転換で書いていたので、あんまり大声で言いたいわけではないし、別にことわざ作りたいわけじゃないから、こんな締め方はしたくないけど、こういうなんにも考えずやってたことが役に立つみたいなことが多い。
なんなら自分はこういうことだけで成り立っている気もする。
ていうか、これ書いてる暇があるなら卒論を書けよ
ちゃんと適当に
ゼミに入ってから当分の間、ちゃんと適当に生きるのが目標だった。
この「ちゃんと」は「生きる」を修飾する、適当と同列の「ちゃんと」でなくて、「適当」を修飾してる「ちゃんと」。
生きるっていう動詞にするから面倒なことになる。適当するというのをつくることにする。
ちゃんと適当するのが目標だった。
そして最近はそれが上手くできている。
他の人の事情や社会の流れに左右されずに生きれてる。適当できている。
慣れによるものと、諸々の鬱陶しい自己嫌悪イベントを潜ったことによるものが大きいと思うけれど、
この安定した、適当した状態がなんだか久しぶりというか初めてなので、この感覚を自分のものにできるようにしたい。
どうせすぐいろんなこと起きる。
それに揺すられないように、芯を持った適当を確立できるようにしよう。
なんかこう、奥の方のことで書きすぎて、小2の日記みたいになったけど。
この丁度いい、ちゃんとした適当が一番自分の安定に繋がる気がするので、その感覚をメモ。
夜中
夜中ってなんでこんなことをしてしまうのだろうと昼間に思い出すことが多い。
海外のクソデカコウモリの生態を1時間くらい調べてみたり。
羆が人間を襲った記録のWikipediaを漁ってみたり。
YouTubeにアップされてる佐山聡のシューティング合宿は毎週のように見ている気がするし。
ガチンコファイトクラブとかガチンコラーメン道みたいな昔の大ヤラセ番組もなぜか見入ってしまう。
社会生活に必須の生活習慣を犠牲にしてしまうのは残念だけど、それでも、そういう昔の記録とか興味深い番組に出会える夜中が好きだ。
夜は中で、昼を間にした人とは気が合いそうだと思う。
おつかれ
就活が終わり、急に暇に戻ると、なんだかどうしようもなくなったのでblogでも書こうかと思い始めた。
別に内定先は書く仕事でもなんでもないのだけど、自分でもやった感があるのがこれくらいなので、短くても、毎日とは言わないけど、そのくらいのペースで書くことにしよう。辞めたくなったら辞めよう。
寝起きに顔を洗おうと洗面所で鏡を見た時に、シューティング合宿で笑っちゃうくらいの暴力を生徒にふるってたときの佐山聡を思い出すくらいに髪が伸びていたので、いきつけの理容室に行った時の話。
パーマで予約したので3時間くらい担当の人とだらだらと話をしていた。
元々美容師と表面的な話をだらだらするのは得意では無いというか、そういう話をしている自分を嘲笑ってしまうのでどうも苦手だった。
だけど今の担当の人は凄く良い。どのくらい良いかと言うと、友人と担当の人含めて一緒にコストコに行ったことがあるくらい良い。
そんな担当の人と個人的に質のいいだらだらした話をしてると、芸能人の年齢が僕より上か下かを、店の外の自販機に売ってあるコーヒーを賭けて勝負しようということになった。
僕は正直あまり乗り気では無かった。
でもその人は僕の顔色を伺ってすかさず「マックスコーヒー」と言ってきた。
話が変わった。マックスコーヒーは激アツだ。
その人は、僕が「マックスコーヒーは熱い」と認識しうる価値観であることを見抜いていたということだと思うのだけど、その人も「マックスコーヒーは熱い」という共通認識があるってことだ。
長年美容師をしている人の観察眼とか共感力の高さに畏敬の念を持ちつつ「マックスコーヒーの熱さ」を共有できる人がいたことにテンションが上がった。冗談じゃなくここ半年で一番嬉しかった。
マックスコーヒーでしか盛り上がれない人生なんて捨てた。と言わないで。他に道無き1人なのに。
七隈キッドね。
すげえ。浅草と七隈は母音一緒だ。ちょっと暖かいな。