【ゼミ】プレゼン

ゼミのプロジェクトが終わった。

プレゼンに関していうと、ほぼ前期と一緒。指摘された点は伝えるというところ。

プレゼン前の話し合いで、よく分からないとメンバーから指摘があったところが、まんま指摘された。時間的な問題は言い訳には出来ないくらいある程度余裕を持って準備期間を取っていたので、なんでこうなったのかあまり分かっていない。ので考えてみる。あくまでもチームとしてではなくて個人としての話。

指摘された部分だけ違和感はあったし、改善しようとしても時間はそれほどかからなかったはず。

場の条件を出すまでで終わった気になってたのかもしれない。プレゼンはおまけ程度に考えていたかもしれない。 

プロジェクトの流れ、結論の出し方は、この期間内での研究においては、ある程度満足の行く結果にはなった。

場の条件への持っていき方、結論の出し方も、これまでの調査の過程と時間を考慮すると、個人的には、なかなか秀逸な締め方だったんじゃないかという良い感触はあった。

その、場の条件へのアプローチが今回のメインとして伝えたかった部分であったため、そこに注力しすぎたというか、目を取られすぎていたのはあると思う。

だから前期の振り返りやデータの見せ方については、適当で構わないだろうというような慢心もあったかもしれない。

でもそれだけで全く同じ失敗を繰り返すとも思えないので、それは本質的な原因ではないと思う。

 

前期のプレゼン後、blogを書いていない。他の記事でもプレゼンに関して触れてもいない。

別にblogを定期的に書こうとかは初めから思っていないし、自分に約束事を課してもやれないことはよくわかっているので、blogを書かなかった自分を卑下したいわけではない。

ただまぁ何かしらあるとblogは書こうと思う方なので、書いている方が自然だとは思う。blogを書いていたとしたら、おそらく、頂いたご講評に関して、伝えるということに関して、何かしら反省やら対策やらを書いているだろう。

書いていないことから察するに、結果が出なかった、伝えられなかった無能な自分を受け入れたくなかったからなのだと思う。

頂いたご意見に関してはごもっともであると思うし、自分がその立場だったら同じことを言っているだろうとさえ思う。

だけど失敗した。ということを受け入れられなかった。今もそう。

失敗を認めたくないし、そもそも失敗したくないという意思が強いから、まず挑戦も行動もしないし、現実として失敗した状況でも、正当化したり逃避行したりすることで「失敗していない」「そもそも目標が違うから」的な自己暗示をかけている気もする。

そんな姿勢が、今回だとプレゼンではなくて研究とか調査がメインだからみたいな考え方とか、聞き手の立場になって考えることを拒否するとまではいかないけど、意見を取り入れて改善できなかった一因になっているのだとは思う。

 

プレゼンの振り返りというより自己分析的な感じになった。

時期も時期なのでこういうのを書くことが増えそうかな。

 

やっぱり「逃げちゃダメだ」なんだろうなと思う。

 

2021

書いている時点ではもう年を明けてしまっているので振り返るには一番適していないなとは思うんですけど、僅かに残る誠実な心が振り返りはしとけと訴えてくるので書こうと思います。

正直2021年の前半までの記憶はほとんど無いです。

ラジオチームでOGの方にインタビューラジオを録るプロジェクトもあったし、合宿もあったし、ゼミの説明会もあったし、他己分析大会とかもあったはずなんですけど、なんかそんな悪い夢を見てたみたいな感じで、本当に自分が経験したという感じがしないです。

ただ一個言えるのはゼミが始まってから2021年の初めくらいまではゼミの活動の際に、肩に力入れまくってて、凄い空回りもしたし、今思えばきついやつだったかなという感じです。悪い夢というのはそういう意味です。

好奇心のプロジェクトに関しては思うところは多いんですけど、アンケート集計が終わって分析も終わった今になって一番思うのは、やっぱりもっと先を見据えて計画性を持った構造を作り上げてから進めていくべきだったということです。

よく先生が「実験とか調査で面白いのは予想と違った結果が出た時だ」ということをおっしゃります。

この意味を少し履き違えていて、アンケート結果でプロジェクトの根幹を揺るがすところに予想と違う結果の出る遊びを持たせていた危険性がありました。結果的に予想通りになったのはよかったものの、この遊びを持たせるところの選択は間違ってはいけないなと。

それと、テーマを細分化しすぎて、育てると場の条件を後回しにした設計にしてしまっていたのは今にガタが来ているなという感じはあります。

プロジェクト開始時の思考的に発生の原因を探してそこから成長、場の条件と発展させていくというのは理屈としてはわかりますが、「場」という言葉を軽視しすぎており、「場」という、より現実的なフィールドに落とし込もうにも、原因という抽象的で形而上のものをメインに進めてしまい、フックとなる部分を見つけられずにいる状態です。

やりやすいところから始めるのではなくて、その先も見据えて、より発展させやすいというか、拡がりが見える方へと進んでいく方が最終的に良いと。急がば回れですよね。もっと先人の言葉に耳を傾けようと思います。

ゼミの活動に関してはこんな感じです。

2021年は、個人的には、公私共に緩やかに後退していった気がしています。

何か自分の取り柄も失った気もするし、中途半端な人間になっていっている感じがしました。

でも2022年は就活、卒論など色々向き合わなければほぼ終わるイベントがあります。

背水の陣を敷いてもっとちゃんと人間をしようと思います。

 

 

【ゼミ】長い

おつです。こたつ出そうかなと思って天気が良かったバイト前に布団を天日干しして、バイト帰ってきたら雨降っててびしょ濡れになってたので、仕方なく夜中にコインランドリーで1000円と1時間半使って乾かして、やっとこたつを出せると思ってコインランドリーから出たら突然雨が降ってまた濡れたのでもう今冬を諦めました。

さて、ここ1ヶ月はずっとアンケート作成に取り組んでいまして、特に最近は中間報告に向けてガチガチに詰めていっていました。

そんな中である程度アンケートの概要に関して決まってきたのでそれについて書こうかなと思います。あとプレゼンに向けてのまとめ的なのも。

 

まず前期で特殊的好奇心の発生の原因に

「偏見」「矛盾」「程度」「展開」

という4つの仮説を設定して、その仮説の検証のためのアンケートをとることにしました。

アンケート作成のその前に、それぞれについてもう一度考えている中で、「程度」だけ浮いている感覚が拭えなかったのでそれについても話し合いました。

「偏見」が個人的な価値観で「矛盾」が一般的な価値観だとしたときに、時間的に考える余地なく仮説に含んでいた「程度」(ex ゴムボールの跳ねる高さに抱く価値観)は「偏見」と「矛盾」という仮説の中での一定の次元、表現が難しいですが、視点の次元に低さがあったので「程度」も「偏見」と「矛盾」という価値観の中での次元に組み込まれるのではないかと考え、「程度」を仮説から抹消しました。

今いい例え思いつきました。果物が好きな人と野菜が好きな人の中にスイカが好きな人が入ってる感覚。いやいや、果物か野菜かって言ってるんだからそんなスイカ好きとかいいって。空気読めや。みたいな。

「程度」はそのスイカみたいなのがいっぱいある塊で、野菜と果物に仕分けできるよねーって感じ。

前述したゴムボールの例だとゴムボールが跳ねすぎていたとこから発生する違和感なので僕らの仮説でいうと、「矛盾」に仕分けられます。いや本来そんな跳ねんやろってとこから生まれる好奇心。

まあそんな感じで「偏見」「矛盾」「展開」に関するアンケートを作成していこうとなりました。

定量調査で欲しいものとしては前期で出した仮説が、特殊的好奇心の発生の原因として正しいのかといったところ。

そして行動への繋がりやすさも知りたかった。

これは好奇心は行動を前提とした動機であると僕たちが定義していたので「育てる」に関してのアプローチはこの行動への繋がりやすさから調査出来るのではないかと先生からもアドバイスを頂きつつ、ひとつのアンケートで発生も育てるも網羅出来そうな方向に進もうという感じでした。

そんな感じで、アンケート作れたら意外とすんなりいけそうか?という期待はすぐに消え去り、1ヶ月の間ずっと偏見を考えることに暮れ、ゼミで他のチームの人に聞いたり、ラジオでも実際聞いてみたりしてました。

はじめは偏見がなかなか難しく、矛盾の逆から考えようと思って進めていましたが、冬は寒いとか、大きい石は重いみたいな、とても偏見とは言えない、矛盾を前提とした内容となってしまい、偏見が仮説であることを抜きにした考え方をしていたので、矛盾とは別で、ちょうどいい偏見を考えていましたが、それが非常に難しかったです。

かなり時間を使ってしまいましたが、まあ仕方ない時間の使い方だったかな。

こうしとけばもっとスムーズにっていうのは今振り返っても無かったなと。こればっかりは仕方ないですね。

そんな感じで苦しみながら偏見を絞り出し、先日ゼミの人に偏見に対する共感度合いを測るアンケートをしてもらいました。

意図としては、本アンケートに進むまでに、偏見は偏見でもある程度調査母数が担保された状態で臨みたかったというのがあります。

まずもって偏見をそう感じない人は行動にも移さないでしょうから、要らない情報が過度に入りすぎる可能性があるかなと考えました。

例えば「猫が好きな人はいい人」という偏見があるとして、それに対応する行動は、いい人だから猫が好きな人の方に頼み事をするみたいなのがあるとします。ここの行動のとこの是非は今回は一旦スルーで。

で、猫が好きな人はいい人だと別に思わない人が多い場合(今回のアンケートでも思わない人が9割でした)行動には全く移さないわけです。おそらくですが。だって猫が好きな人は別にいい人だと思わなければ、猫が好きな人に頼み事をするわけがないし。

その偏見を前提とした行動があるので、その偏見にある程度の賛同者が担保されていないと(この場合担保は割合的にある程度ってことです。確実にってわけではない。)僕らの意図する好奇心の発生原因と行動との関係に必要な情報も薄れてしまうかなと思いました。

というようにアンケートをとる前は、偏見への共感をある程度担保された状態でないといけないと思っていましたが、少し思考の更新があって、今回とったアンケートの偏見への共感割合に少し差があることによって、好奇心の発生や行動への繋がりやすさの変動具合もわかるんではないかと思ったんです。偏見の強さと行動への繋がりやすさの相関関係。

でも書いていて、また更新しました。偏見の強さは共感割合が低ければ低いほど強いはずなのに、低ければ低いほど、行動への繋がりやすさはアンケート全体の結果を見た時に観測しえないと。

偏見に共感するかどうかという質問は本アンケートで入れる予定が無かったため、ここもまた考えなくてはいけないところですが、いうてもこの相関関係は今回の研究目的から少し逸れた+‪α‬のところなのであまりのめり込み過ぎないように考えないとな。

前期もこういう+‪α‬に目を取られてみたいなことがあったので、目的を見失わないようにしないといけないなと思いました。

 

今回バカ長い。まだ書きたいことあるので書きます。

 

僕らのアンケートのフォーマットというか聞き方としては、

1.偏見、矛盾、展開のシチュエーションがあります。

2.そのシチュエーションの時に行動に移したいと思いますか?

3.そのシチュエーションの時に実際に行動に移しますか?

という感じで、2の段階で発生を、3の段階で育てるについてを調査したいという感じです。

何度も書きますけど、行動を前提とした動機が好奇心であるというような考え方、定義の仕方をしているのでこんな感じになりました。2の段階では1〜5の5段階評価で行動したいと思うかどうかを。

3の段階では、1〜5を、実際に行動に移す、実行確率で聞こうかと考えています。実行確率にしたのは、3も2のような聞き方だとほぼ同じこと聞いてるみたいになるので。

思うことで好奇心の発生を、実際に行動することで好奇心の成長をという感じです。

ただテーマが、成長ではなくて「育てる」であるということは考えておかなくてはいけなくて、もし仮説が成長にも繋がるという結果が出ても、外部的な力が加わって偏見や矛盾を起こす方法というのは僕らのアイデアというか、そこは提出する形になると思うので、そこは銘肝しておこうと思います。

同様に場の条件も。

 

いい加減長いですが、矛盾に関しても。冬が8月並みに暑いと天気予報で言っている、大きい石を軽く持ってる、みたいなわかりやすい感じなので難しくはないですが、ひとつ思っているのは比較対象として冬は寒い、大きい石は重いというようなごく普通のときのことも調査する必要はあるのかないのかといったことです。

前述したアンケート形式なので、3の段階ときに、1〜5の段階のどこ以上のときに育ったといえるのか。3が50%と設定するんですが、50%以上なのか?それとも0%以上なのか?これは偏見や展開とは比較にならないので、これらと比較するための通常時の行動の実行確率がまた別に必要になってくるのか?などは疑問のままです。

中間報告でアンケートを作り終わらなければいけないということはないので、疑問は疑問のままで先生やみんなにフィードバック頂いてからでもいいかなと思ってますが、まだ色々と再考の余地ありの部分も大いにあるかなといった感じです。

 

こんな感じでめちゃめちゃ長くなってしまいましたが、なんだか久しぶりにちゃんとゼミのblogを書いた気がしております。

まだまだ穴だらけですが、やっぱり色々とあーでもないこーでもないとしているのは悪くないです。

就活に関してはまずいので、またblogも書こうと思います。

 

それと、アンケートに協力してくれたゼミのみんなもありがとうございます。本アンケートの時もよろしくお願いします。

 

 

 

【ゼミ】変な例え

お疲れさまです。

後期に入ってゼミのblogを書いていなかったなと思ったので、振り返りつつ、どうせ今後来る行き詰まりに対応できるようにしておこうと。

ゼミで特筆することがない訳ではないけど、前期ほど形のないものを触っている感覚は今のところないかなという感じ。

後期最初のゼミで先生がしていた説明では、理論仮説と作業仮説を設定してからアンケートをしようという流れだったけど、僕たちのリサーチの性質的にアンケートを直でやっていた方がいいかもねとのことだった。

理論、作業仮説の線引きが曖昧で表現が難しいことがその理由だと認識している。

その線引きが難しいことの要因として、他のチームのように、健康と好奇心とか、幼児と好奇心とか、SNSと好奇心みたいな○○を設定していないので抽象度が高いことが挙げられるかなと思う。

抽象的すぎるので、理論仮説から作業仮説に落とし込むための枠組みがない。

なのでアンケートも前期にある程度絞っていた仮説から作っている状況。

前期に実験(シチュエーションでのリサーチ)をやってみていたのもその抽象性を補うためで、

他のチームが 具体(○○)→抽象(好奇心)なのに比べて

僕たちは 抽象(好奇心)→具体(実験) という感じなのかな。わかんないけど。

 

書いていて思ったけど抽象的と言っていいのかな。抽象的というよりかは本質的?根源的?

僕のイメージとしては抽象具体は同じものの表現の仕方だけの違いだけど、そうではなくて、そのものが持っている核の部分の性質へのアプローチの方法で、直接か間接か(直接でも結局は間接的になるけど)という感じなので、本質的っていう表現の方がよさげ。

でも本質的だと俺らがやっていることが正当で他のチームは邪道だ。みたいな傲慢さを含んでいる気もするし、アプローチの違いだけなので根源的にしよう。

根源へと向かうために、存在している枝葉に注目して辿る方法と、根源から作り出されるであろう枝葉を想像(創造)して見てみる方法みたいな感じ?

好奇心の具体例を探る議論を深められなかったのでこのようなアプローチになったと思う。

前述のわかりにくい例からすると、バカでかい木の根っこがありそうだけど掘にしてはデカくて、ギッチギチに根を張っててダルいし、枝葉を見てみるにしても高くて多すぎるので選べないみたいな。

他のチームが枝葉を見るために動いていた時に僕たちは正直、高くて生い茂る枝葉を「綺麗だねー。多いねー。選べないよねー。」と眺めているだけだったかもしれない。

そんなこともしてられないから、一番近くの掘りやすい根っこを切り取って育ててみてどうなるかねと見てみたらこんな枝葉がになったよー的な。

この例えだとじゃあ育ててみた方の木の根っこ分析したほうが早いやないかいとなるので、見ているのはそっちの方かもしれない。枝葉じゃなくて根っこの末端。

ちょっと何の話してるのかわからなくなってきた。

合ってんのかな。合ってない気がするけど。

例え話好きなんで、友達と話してても例え話の世界観の中で無理に例えようとしてカオスな状況になっている時がおもろいです。

 

いつの間にか何故か木の話になっていたけど、対面授業になって思ったより忙しくなったからといって、大きな木の下でダラダラ横になることだけは避けたい。

 

夏の終わりの決め方

先日バイト中に冷凍食品の品出しをしていると、お母さんと中学生くらいの息子さんの親子と思われるお客さんがガリガリ君を巡ってこんな会話をしていたのを見つけた。

お母さん「ガリガリ君は買わないよ。もう夏は終わったじゃない。」

息子「いや、まだ夏は終わってない!ガリガリ君は買う!」

ガリガリ君を買うかどうかを夏が終わったかどうかで決めようとしている親子と遭遇した。

 

つまりその家庭では、服の袖の長さや、月日では無く、「ガリガリ君」を夏と秋の線引きを決定する最重要判断材料として採用していると思われる。

果たしてガリガリ君をなんだと思っているんだろうと思いつつ、おもろいエピソードを手に入れた。しめしめと思っていると、どうやらその激アツ親子はガリガリ君を買うことに決めたらしく、買い物カゴにガリガリ君を入れていた。

なんと、夏が継続する瞬間にも立ち会えたのだ。サッカーのVARでPKが取り消されるのを初めて見た時くらい感動した。こんな経験もう二度と出来ない。

 

少なくともその家庭ではまだ夏という認識なのだからということで、遅いかなーと思って行きそびれていた海に、友人と気兼ね無く行くことができた。

f:id:sugaaan:20210921224410j:image

その親子の冬の終わりの判断材料が気になってまだ夏を終われない。

 

【ゼミ】定義の定義

お疲れ様です。

中間発表の後からインタビュー結果の見直しを行ってきて、特殊的好奇心の原因の仮説導出を行ってきましたが、順調とは言えない感じではあります。

最近少しモチベ下がり気味で良くない兆候。また頑張らないとなので書いていこうと思います。

 

特殊的好奇心の定義を再確認してから、仮説候補の捉え方を見直して、ズレにフォーカスして進めてきました。

でも、インタビュー結果の分析が上手くできず、結局ズレという定義からも読み取れる1つの原因だけになり、ズレの尺度(一般的か個人的か、絶対的か相対的かなど)ばかりを追い求めてしまって、ズレの種類についてを深めることができませんでした。

その後は、議論が進まなかったので、時間が勿体無いと思い、「育てる」の方の進め方を考えました。

以前はライフワークへの繋がりというマクロな視点で発生から成長への繋がりを見ていこうとしていましたが、チーム内で軽く「就活」をテーマにインタビューをやってみたところ、発生の原因のズレまで掘り下げられませんでした。

大学生の時点から過去を振り返る形のインタビューでは成長過程の順序が曖昧になっていたり、正確な情報が得られないことがわかりました。

そういったこともあり、もっとミクロな視点で、特殊的好奇心の発生後から解消行動までをフォーカスしていこうと。

例えば、本を読んでいて、人によって発生する疑問は違いますし、いくつかの疑問が発生しても、発生した疑問を全て検索したり読み直したりして解消するわけではないのではと。

解消行動に繋がりやすい疑問と、そうではない疑問があるんじゃないかと。(便宜上ズレのことを疑問としています。)

そういった感じで、解消行動へ移す特殊的好奇心と移さない特殊的好奇心の違いは何なのかという部分をリサーチしていけばいいのではと考えました。

特殊的好奇心はズレや矛盾などの認知的な不一致を解消するために特定の情報を探し求めることを動機づける。(2015 西川・雨宮)

↑特殊的好奇心の定義

 

ただ少し違和感なのが、定義を見た時に、解消行動へと繋がる好奇心こそが、特殊的好奇心なのではないかという解釈も不可能ではないというところです。

動機づけるという言葉があることから、特殊的好奇心と解消行動に因果関係は見られますが、それが解消行動前提の好奇心なのかどうかというのが分かっていないところが、この方向で行こうと踏み切れない点です。

これは文献の定義の定義を考えてることになるんで、そもそも論なんですけど、他の文献を読むことで特殊的好奇心の像をより明確にしないといけないなと感じます。やっぱり文献を読むことが足りていない。

 

それと、やはり発生のズレの種類がわからないと、このリサーチをするにしても解消行動に移すズレとそうでないズレを判断するための基準がわからない。ズレの種類、発生の原因を考え続けないといけないとなと思います。

結局は今躓いているところを解決しない限りは前に進めないというのが書いていてわかりました。

インタビュー結果の分析。どうしていったらいいだろう。

 

なんかタイトルHUNTER×HUNTERみたいなった。

 

 

 

【ゼミ】哲学の話してんのかな

お疲れ様です。ちょっと今回のブログは非常に読みにくいと思います。忘れないように急ぎ目で書いているので。いつも読みにくいけど今回は特に。

 

チームで話し合いをしました。2転3転あって、また方向性を改めなければいけなくなってきたかもしれないという感じです。

議題としては、前回のゼミで再考した分類について、めちゃくちゃ抽象的な表現になりますが、「どの程度の深さで見るか」ということを話し合いました。

・程度のズレ

・言語の矛盾

・展開への疑問

・偏見

の4つを新しい特殊的好奇心の発生の原因の仮説候補として出しましたが、これらの精査をしていく中で、それぞれの次元を合わせるというか、どの程度の深さで見るかというか。

言語化が難しくて自分の表現力と語彙の無さを恨むばかりなんですけど、ニュアンスでお願いします。

 

まず、それの説明の前に経緯を説明していきたいんですが、言語の矛盾は、動物と人間が違う言語のはずなのに、会話出来ているのはなぜ?のように矛盾が発生しておるので特殊的好奇心であると。

これはいいです。

次に、展開への疑問というのはストーリーのその先を見たいという興味、もちろんその時点で見たストーリーの先の展開への興味なので、その時点で見た情報が前提ではあるけれども、新奇の情報を求めているから拡散的好奇心だねと。

なので展開への疑問は候補から一旦消しました。

 

そして次に、前回のブログで説明してた、ズレ自体という他の3つとズレの次元が違う偏見について精査しました。偏見は、「黄色恥ずかしい」という記述を例にとると、黄色という事象自体のズレではなく、黄色に対して抱く価値観のズレだよねって話しになりまして。

え?だったら程度のズレ(大きさや速さ)も事象ではなく、それに抱く価値観のズレが原因だからこれ同じじゃね?みたいな。

 

で、この話しが終わった時点での分類はこうです。

・言語の矛盾

・価値観のズレ(偏見のズレと程度のズレ)

ここで、言語の矛盾と価値観のズレだと、表現として次元が違うよねと。程度と言語だったら表現としては表面的なのでこう、合ってる感じはしたんですが、言語と価値観だと、言語も突き詰めると価値観のズレって言ったらそうだしなあ。みたいな。

そもそもは仮説候補が5個くらい出そうやなと。それから今後のインタビューで共通するものを絞り、仮説を出していこうという目論見でしたが、分類して出てきた項目をどの程度まで本質的に掘り下げていっていいのかというのが難しくて。

なんかこう方向も次元も違うみたいな、凄いもう抽象的すぎて哲学の話してんのかなと思うんですけど、数学の3次元の空間図形の話でいうねじれみたいな、もっとわかりにくいな。

とにかくどの程度まで本質を求めていったらいいかみたいなのが合ってないし、それを合わせると結果的に価値観のズレに行き着くので、今の時点では話がまとまらないねと。

なので1回、仮説候補から絞っていくっていうのはとりあえず置いといて、仮仮仮説くらいのテンションで

特殊的好奇心の発生の原因は、自身の認識・価値観と事象とのズレ

みたいにして、この時点で一個に仮説を絞ったら今後予定してたインタビューで「育てる」はどうやって出てくるかな、みたいな。

なのでまあなんやかんや言わずに1回やってみようと。特殊的好奇心の育つに関するインタビューを橋口はるかにしてみました。

個人を形作るものへの繋がりを調べていきたいので、ちょうどもう就活生だし、就活をテーマに志望している業界への興味の源泉を遡っていく感じでインタビューしていきました。

こんな所で具体的な話を書くとちょっと嫌かもしれないので書きませんが、幼少期のきっかけとなるズレが見つかりました。ただ特殊的好奇心かと言われるとうーん。となるような。

ズレはズレだけど、これが行動に繋がっているか?と。それにあんまり特殊的好奇心の定義とぴったり来る感覚もない。

ただズレが興味に、興味が好きに、好きが行動にという変遷は見られた気はしたので、こういったプロセスの可能性はあるなという光明も少し。

なのでズレが直接的に行動にというよりは、その間に興味とか好きとかがあるのかな。

 

サンプルが1個だとなんとも言えないので次に国弘ゆうせいにもインタビュー。

今回のは少し違って、得意が興味に、興味が好きに、好きが行動にという変遷は見られたけど、ズレは見られなかった。僕のインタビュー技術の無さはそれはもう決定的な問題だけど。

得意の前にズレが見えるまで本当は聞きたかったな。

時間的に厳しかったのでここまでになったけど、今後どうしていくかは先生にも意見をいただきつつ決めていきたい。

 

 

就活に結びつけるようで、綺麗事のようであまり好きじゃないけど、このプロジェクトで、僕は考えることが好きなことを否定出来ないと思った。

考える中でわからないこととか問題とかが山積みになって、時間的に追い込まれてもうやばいなぁと何回も思うけど、やっている中で発見とか、今後に繋がりそうな小さな機微が見えると凄く心躍るし、楽しい。

もし出来るものならこういうことを就職してからもしたいと思った。綺麗事だな。

ただ結論を出さないと、やっぱり一応プロジェクトとしてやっていることだから間に合いませんでした、では甘々なので悩むこと、考えることをやめずに、結論まで完成させないとなと常々思います。

長々と読みにくい。あと暑い。