【ゼミ】プレゼン

ゼミのプロジェクトが終わった。

プレゼンに関していうと、ほぼ前期と一緒。指摘された点は伝えるというところ。

プレゼン前の話し合いで、よく分からないとメンバーから指摘があったところが、まんま指摘された。時間的な問題は言い訳には出来ないくらいある程度余裕を持って準備期間を取っていたので、なんでこうなったのかあまり分かっていない。ので考えてみる。あくまでもチームとしてではなくて個人としての話。

指摘された部分だけ違和感はあったし、改善しようとしても時間はそれほどかからなかったはず。

場の条件を出すまでで終わった気になってたのかもしれない。プレゼンはおまけ程度に考えていたかもしれない。 

プロジェクトの流れ、結論の出し方は、この期間内での研究においては、ある程度満足の行く結果にはなった。

場の条件への持っていき方、結論の出し方も、これまでの調査の過程と時間を考慮すると、個人的には、なかなか秀逸な締め方だったんじゃないかという良い感触はあった。

その、場の条件へのアプローチが今回のメインとして伝えたかった部分であったため、そこに注力しすぎたというか、目を取られすぎていたのはあると思う。

だから前期の振り返りやデータの見せ方については、適当で構わないだろうというような慢心もあったかもしれない。

でもそれだけで全く同じ失敗を繰り返すとも思えないので、それは本質的な原因ではないと思う。

 

前期のプレゼン後、blogを書いていない。他の記事でもプレゼンに関して触れてもいない。

別にblogを定期的に書こうとかは初めから思っていないし、自分に約束事を課してもやれないことはよくわかっているので、blogを書かなかった自分を卑下したいわけではない。

ただまぁ何かしらあるとblogは書こうと思う方なので、書いている方が自然だとは思う。blogを書いていたとしたら、おそらく、頂いたご講評に関して、伝えるということに関して、何かしら反省やら対策やらを書いているだろう。

書いていないことから察するに、結果が出なかった、伝えられなかった無能な自分を受け入れたくなかったからなのだと思う。

頂いたご意見に関してはごもっともであると思うし、自分がその立場だったら同じことを言っているだろうとさえ思う。

だけど失敗した。ということを受け入れられなかった。今もそう。

失敗を認めたくないし、そもそも失敗したくないという意思が強いから、まず挑戦も行動もしないし、現実として失敗した状況でも、正当化したり逃避行したりすることで「失敗していない」「そもそも目標が違うから」的な自己暗示をかけている気もする。

そんな姿勢が、今回だとプレゼンではなくて研究とか調査がメインだからみたいな考え方とか、聞き手の立場になって考えることを拒否するとまではいかないけど、意見を取り入れて改善できなかった一因になっているのだとは思う。

 

プレゼンの振り返りというより自己分析的な感じになった。

時期も時期なのでこういうのを書くことが増えそうかな。

 

やっぱり「逃げちゃダメだ」なんだろうなと思う。