ふりかえり

あけました。

こんなにクソ寒いと入学して一人暮らし始めたときの初期装備煎餅布団だけでは凍死しそうですね

少し遅いですがこの時期のブログの相場は2020年の振り返りと2021年の抱負を書くものだと思うのでそうします。でも多分振り返りだけで結構書きそうです。

感染症のことはもう面倒くさいので書きません。大学生活としてはゼミが大きかったかなと思います。定期的にブログを書くのも、プロジェクトを持ちながら日常生活を送るのも、プロジェクト自体をやるのも、インタビューも、分析も、よくよく考えると初めてやることばかりでもう本当に何をしたらいいのか全くわからなくて、でも先生に聞くのを躊躇してしまっていて

僕は多分自信はないけどプライドが高くて、自分で何でも出来るのが正義みたいな感じだったので先生や他の人に聞くのが恥ずかしくて下劣なことだと思って質問することに抵抗がありました。

でも知らないことは知らないし結局考えても無駄なのは理解出来ました。

かと言って現在気になったこととか自分の中で行き詰まったことを相談出来ているかというと全くそうではなくて、まだ消化不良な部分があります。もっと楽に進められたんだろうなと思います。

 

例えば分析やペルソナの主観と客観の線引き。前にブログにも書きましたけど、都合の良い主観を入れるなというところで、客観的事実と都合の良い主観の線引きが結局わからなかったまま。主観の延長の判断、曖昧であるはずのものをどのように判断しているのかという判断材料が掴めなかったです。

あとは、ラジオという媒体でゲストの方を招いて何を知りたいか、誰に何を伝えたいかということまではある程度方向性は決まっているが、その表現方法としてどのような構成にするのかという完成系が見えてこない。これまでテレビとかラジオに人より触れてきたという自負はあるけど、娯楽としてしか見ていませんでした。

この表現方法はUXデザインからも学べると思うし、これまで触れていたテレビ、ラジオの構成に納得したり驚愕したりすることもあるだろうなと思いました。

深い話をすると、このまえ好きな芸人さんと仲がいいディレクターさんのインタビューを見て知ったんですが、例えば水曜日のダウンタウンの「逆ドッキリ 逆逆逆くらいまでいくと疑心暗鬼になる説」という説では、打ち合わせのドッキリを説明する段階から放送するという工夫をすることで、想像しにくい、理解しにくい企画でも視聴者に伝わりやすくすることができた。というお話をされていて、これは表現方法の工夫の例として適しているなということに気づけたという部分では成長しているのかなと思いました。

 

例えばが多すぎて何の話をしていたか分からなくなりましたが、僕としてはあんまり抱負が好きではないので、ふりかえりと気づきくらいでいいかと思います。

あまり実感として成長は感じられるものではないと思いますが、5年後とか10年後にあーこれやってて良かったなと思えるような、真綿で首を締めるようにじわじわできたらと思います。

肯定に真綿は違うな。考えときます。