卒論だけど

なんか卒論書いていて、あぁblogちょくちょく書いててよかったって思った。

もちろん卒論は客観的なデータとか先行研究から俯瞰的に書いていく必要があるし、blogの主観的な文書とは対象的なのは理解している。

実際、主観と客観の文章も深く関わってくるテーマだし。そこは念頭に置いて書いているつもり。

そういう文章の構成とか表現というより、言葉選びだったり、端的にするための言い換えだったり、論理のブリッジだったりで、blogを書いている時の感覚と似たものを感じる。

自己満なんだけど、この言い方とか繋ぎ方凄くいいなってなって、その部分が書けただけで満足になって進まなくなったり。

結局主観客観はあるにしろ、姿勢とか性格みたいなのは出るんだなと思った。

これで先生に「結構主観入っちゃってるんでやり直しですね」とか言われたら笑い者すぎるけど。

 

個人的にはblogは自己満でしかなくて。正直ほぼなんにも考えず暇つぶしと気分転換で書いていたので、あんまり大声で言いたいわけではないし、別にことわざ作りたいわけじゃないから、こんな締め方はしたくないけど、こういうなんにも考えずやってたことが役に立つみたいなことが多い。

なんなら自分はこういうことだけで成り立っている気もする。

 

 

ていうか、これ書いてる暇があるなら卒論を書けよ

ちゃんと適当に

ゼミに入ってから当分の間、ちゃんと適当に生きるのが目標だった。

この「ちゃんと」は「生きる」を修飾する、適当と同列の「ちゃんと」でなくて、「適当」を修飾してる「ちゃんと」。

生きるっていう動詞にするから面倒なことになる。適当するというのをつくることにする。

ちゃんと適当するのが目標だった。

そして最近はそれが上手くできている。

他の人の事情や社会の流れに左右されずに生きれてる。適当できている。

慣れによるものと、諸々の鬱陶しい自己嫌悪イベントを潜ったことによるものが大きいと思うけれど、

この安定した、適当した状態がなんだか久しぶりというか初めてなので、この感覚を自分のものにできるようにしたい。

どうせすぐいろんなこと起きる。

それに揺すられないように、芯を持った適当を確立できるようにしよう。

なんかこう、奥の方のことで書きすぎて、小2の日記みたいになったけど。

この丁度いい、ちゃんとした適当が一番自分の安定に繋がる気がするので、その感覚をメモ。

 

散歩

3ヶ月くらい前は大濠公園までだったけど、最近は博多のふ頭にある港あたりまで散歩するようになった。

高校3年のときには毎日学校終わりにすき家で大盛りの牛丼を頼んでいたけど、最近は並盛でもきつくなってきた。

関西人のあのテンプレでいうと、多分還暦を迎える頃には、なにも食べずとも島根くらいまで散歩できるようになるのかな。

食費も旅費もいらなくなるコスパのいい老人になれるのなら、人外扱いされてもトントンだな。

 

夜中

夜中ってなんでこんなことをしてしまうのだろうと昼間に思い出すことが多い。

海外のクソデカコウモリの生態を1時間くらい調べてみたり。

羆が人間を襲った記録のWikipediaを漁ってみたり。

YouTubeにアップされてる佐山聡のシューティング合宿は毎週のように見ている気がするし。

ガチンコファイトクラブとかガチンコラーメン道みたいな昔の大ヤラセ番組もなぜか見入ってしまう。

 

社会生活に必須の生活習慣を犠牲にしてしまうのは残念だけど、それでも、そういう昔の記録とか興味深い番組に出会える夜中が好きだ。

夜は中で、昼を間にした人とは気が合いそうだと思う。

おつかれ

就活が終わり、急に暇に戻ると、なんだかどうしようもなくなったのでblogでも書こうかと思い始めた。

別に内定先は書く仕事でもなんでもないのだけど、自分でもやった感があるのがこれくらいなので、短くても、毎日とは言わないけど、そのくらいのペースで書くことにしよう。辞めたくなったら辞めよう。

 

 

寝起きに顔を洗おうと洗面所で鏡を見た時に、シューティング合宿で笑っちゃうくらいの暴力を生徒にふるってたときの佐山聡を思い出すくらいに髪が伸びていたので、いきつけの理容室に行った時の話。

 

パーマで予約したので3時間くらい担当の人とだらだらと話をしていた。

元々美容師と表面的な話をだらだらするのは得意では無いというか、そういう話をしている自分を嘲笑ってしまうのでどうも苦手だった。

だけど今の担当の人は凄く良い。どのくらい良いかと言うと、友人と担当の人含めて一緒にコストコに行ったことがあるくらい良い。

そんな担当の人と個人的に質のいいだらだらした話をしてると、芸能人の年齢が僕より上か下かを、店の外の自販機に売ってあるコーヒーを賭けて勝負しようということになった。

僕は正直あまり乗り気では無かった。

でもその人は僕の顔色を伺ってすかさず「マックスコーヒー」と言ってきた。

話が変わった。マックスコーヒーは激アツだ。

その人は、僕が「マックスコーヒーは熱い」と認識しうる価値観であることを見抜いていたということだと思うのだけど、その人も「マックスコーヒーは熱い」という共通認識があるってことだ。

長年美容師をしている人の観察眼とか共感力の高さに畏敬の念を持ちつつ「マックスコーヒーの熱さ」を共有できる人がいたことにテンションが上がった。冗談じゃなくここ半年で一番嬉しかった。

マックスコーヒーでしか盛り上がれない人生なんて捨てた。と言わないで。他に道無き1人なのに。

七隈キッドね。

すげえ。浅草と七隈は母音一緒だ。ちょっと暖かいな。

 

 

有線

友人が歩いていると、向かいから有線イヤホンをしている人が来たので、顔はよく見えなかったけど僕だと思って声をかけたらしい。

もし女子小学生だったらどうするつもりだったんだろう。僕だったからよかったけど。

それに有線イヤホンはそんな特異ではないだろ。

テンガロンハットを被ってるから萩原流行だなみたいな。

白塗りだからトランプマンだなみたいな。

ちゃんこダイニングだから花田虎上だなみたいな。

有線イヤホンだから僕だなとはならないだろ。

僕か僕以外かは有線イヤホンかそうじゃないからしい。なんだか激弱のローランドみたいになった。

 

いっそのこと女子小学生に有線イヤホンしてもらって話しかけるか見てやろうか。

有線は最高なんだよ。

 

から揚げ

最近はESを作ろうと、ノートに色々思いつくことを書き殴っていますが、なかなか難しくて頭を抱えています。そんな中で、先生のblogに、自分のblogにどういうことを書きがちかも振り返ってみては的な記述がありました。

blogはまあまあアップしていますが、下書きにも腐るほど放置していた記事がありまして、傾向を知るなら数は多い方がいいだろうということで、この際整理がてら出せそうなのは放出しようと思います。

出血大サービスです。サービスではないので出血か。

出血です。

 

 

高校時代、最寄り駅の近くにから揚げチェーン店があり、腹を空かせることと腹を満たすことしか能が無い僕みたいな学生が列をつくってまして。

しょうゆ風味のジャンキーでジューシーな香りは、文武両道を掲げる市内唯一の自称進学校の、数少ない部活無所属学生(退部)として、先生方から冷ややかな視線と非常にありがたいお言葉の数々を常に浴びせられていた僕に空腹を認識させるには充分でした。

要するに、から揚げが大好きだと。

まあそんな僕が体験した話です。

死ぬほど擦られすぎて、もうほぼ味のしない話だから、わざわざこうやって書くのもどうかと思うし、今後に支障が出るのも覚悟の上で書きますけどね。

しがませてください。

結構前に6人くらいで居酒屋に行った時の話です。その店はお通しが結構多くて、だし巻き玉子やら、たこわさやら、サラダやら、その中に僕が愛してやまないから揚げもいました。

すると1人が付属のレモンを初手で、誰にも確認を取らずに、全てのから揚げに、なんの躊躇いも無く、真っ黒な目をして、それの為に生まれた人です、それ専用の機械です、みたいな顔してかけたんですよ。

もうその場で何が起きたのか信じられなくてですね。割ったはずの割り箸の片方をまた割ろうとしてて、友達に指摘されて、咄嗟に我に帰ったのでそういうボケですみたいな顔して乗り越えましたけど。

青天の霹靂とはまさにこのことと言わんばかりの衝撃で。この時代にまだこんな奴がのさばっていたかと。

ただ、もちろんその場で指摘するような真似はしません。こうやって書いてる時点で器の小さいみみっちい奴には違いないけど。

まあ結論何が言いたいかというと、僕もそいつみたいになりたいということです。

なぜならから揚げにレモンを無断でかけられる奴は幸せな人生を送れるに決まっているからです。

これは偏見です。でも自信のある偏見です。

そんな胆力があればこんなつまらない人間にはなっていなかったろうと思うばかりです。

なので手始めにピンポンダッシュをしようかなと思います。